式内 久武神社・出西八幡宮

投稿者: kojiyama 投稿日:

Contents

概 要

社 号 式内社 出雲国出雲郡 久武神社
読み:古 クム、現在 くむ
江戸時代は「文武神社」「久茂大明神」と称していた
所在地 島根県出雲市斐川町出西字随心1834
旧地名 出雲国出雲郡
御祭神 素盞嗚尊(すさのお のみこと) 誉田別命(ほむだわけ のみこと=応神天皇)
例祭日 5月16日 春季大祭

社格等

『延喜式神名帳』(式内社)
山陰道:560座 大37座(その内 月次新嘗1座)・小523座
出雲国 187座(大2座・小185座)
出雲郡(イツモ) 58座(大1座・小57座)

『出雲国風土記』「久牟社」

近代社格制度 旧村社

創建     年代不詳
本殿様式   大社造変態 曽木葺

境内摂末社(祭神)

出西八幡宮(足仲彦=仲哀天皇
三保社(事代主命・三穂津姫神)、稲荷社(倉稲魂命)
社日祠(天照皇大御神・大己貴神)、塞神祠(猿田彦神)
木俣祠(木俣神)、塚神祠(荒魂・諸霊)

一口メモ

斐伊川の東岸は旧斐川町。出雲の4つの神奈備のひとつ仏経山の反対側にある伊保神社も出西地区になる広い地区だ。出雲の式内社を巡っていると、式内社であった同じ社地が八幡宮が祀られて、八幡宮の方が知られているケースを目にする。「久武神社」「出西八幡宮」の2つの社号標が鳥居前にある。

歴史・由緒等

久武神社由緒
出雲国風土記に久牟社とあり、延喜式内社であった。現鎮座地は四度目の地といわれ、江戸時代中期に遷座されたお社である。(創建時は現在地の東南方向約300mの弥山の山麓に鎮座)
素盞鳴命が八俣大蛇退治の砌、稲田姫命をこの郷の稲城にかくまって退治におもむかわれた。そして退治後この郷に帰られて稲田姫命にお会いになると、命の功績を祝うかのように多くの雲が立ち上がり、二神をとりまいた。歓喜された命は 「八雲立つ出雲八重垣妻ごみに」と咏われたという。
このような由緒によって、この地は古代から出雲国出雲郡出雲郷といい、出雲の原郷にふさわしい御社名久牟社・久武社(雲社)が鎮座されている。

八幡宮 祭神誉田別命 本殿流れ造り
由緒 第一五代應神天皇の御神名である。
命は国際的な視野を持ち積極的にその威を国の内外に示すとともに、外国の文物をとりいれて、我が国の文学産業などの礎を築かれた神として崇敬されている。
このお社は、室町時代末期に氏神として勧請されたもので、以降氏神社として崇敬されてきた。しかし明治三年政府の方針に従い、式内社であった久武神社を氏神社としたので、現在は産土神として鎮座されている。

「社頭掲示板」

境内・社叢


社頭

   
社号標

  
手水舎                       鳥居右手に祠が2つ塞神祠 木俣祠

   
社頭狛犬


社頭掲示板

  
八幡宮拝殿                   側面

式内 久武神社


出西八幡宮社殿奥に長い石段がある

  
(石段上)本殿                 本殿側面

  
入口から順 若宮社・稲荷社           八幡宮「誉田別命(ほむだわけ のみこと=応神天皇)」

  
三保社                     社日祠


古い狛犬?

地名・地誌

地 図

島根県出雲市斐川町出西1834

交通アクセス・周辺情報

参 考

「延喜式神社の調査」さん、他

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